01夢→実現

「どんな事でもできる」
力が欲しい
奥 明幸

アールビバンに出会うまでの自分

私の原点「継続は力なり」

「常に一番であれ」。町工場を経営する父から言われたその言葉を、今でも鮮明に覚えている。隠し事なんて一つも無い、仲の良い友達のような家族関係だったが、「何に挑戦するとしても、一度やり始めた事は極めろ。途中で投げ出すな、一番であれ」という父の想いだけは、頭に残る程に強く言われていた。

私は父が思うような、「常に一番でありたい」という強い執着を持つ事はできなかったが、それでも一度始めた事は何があったとしても必ずやりきりたいと思っていた。
小学4年生から始めた野球も、大学時代からはじめた居酒屋のアルバイトも、「続けていればいつか結果は出る」という楽天家な性格のお陰もあるが、辞めずに続けられた事は私の中での一番の誇りだった。

仲間と協力して何かを達成する事の楽しさも、支えてくれる家族への感謝も、投げ出さずに一つの事に取り組み続けていたからこそ得られた、かけがえのない財産だと思っている。

頼りにされる自分でありたい

野球でもアルバイトでも、諦めずに続けられた裏には傍にいてくれる人の存在があった。

仲間との連携で得点が取れた際には仲間と喜びを分かち合えたし、汚して帰ったユニフォームは母がいつも綺麗に洗濯してくれて、新しい道具を買う時は何も言わずに父がお金を出してくれた。
忙しいアルバイトでも、大変な時にはフォローし合う仲間がいたから続ける事ができた。
留学先では、切磋琢磨する友人がいたからこそ勉強する事と向き合い続けられた。
思い返せば、常に私の周りには誰かがいてくれたように感じている。

周りの人達が支えてくれた自覚があるからこそ、彼らから頼りにされたいし、周りの人から期待された事の為であればいくらでも頑張る事ができた。
一人だとどうしても甘くなってしまう私にとっては、時に優しく時に厳しく、私を引き上げ動かしてくれる環境が本当に貴重だった。

アールビバンとの出会い

就職活動を始めた当時は、将来何をしていきたいのか全くイメージが湧かなかった。
大学で学んだ英語を用いた仕事でも探そうかとぼんやりと考え始めていた時に、仲の良い友人から勧められた会社がアールビバンだった。

殆ど身近に無かった「絵」というもの、すなわち生活必需品ではないものを売っているイメージは全くつかなかった。
ただ、だからこそ圧倒的な力が身に付くだろうし、人生の通過点としては良いのではないかと考えていた。

漠然としていた「将来やりたい事」を叶える為にも、最短最速の自己成長を目指すのは必須事項だったからこそ、圧倒的な成長を遂げられると考えたアールビバンへの入社を決意した。

アールビバン入社時の夢

「どんな事でもできる」力が欲しい

社会人になるにあたって考えていた事は、「お金を稼いで、自由になりたい」という想いだった。好きな車を買って、好きな事で遊んで、好きな物を食べる。何をするにしても困る事が無い、自由な生活がしたいと思っていた。

部活動で追いかけていたような、仲間と一緒に何かを達成したいという気持ちや、今まで支えてきてくれた家族への恩返しをしたいという気持ちも無いわけではなかったが、当時の私を突き動かしたのは「どんな事でもできる」と言える程の財力が欲しい、という素直な欲望だった。

その時々に思う感情のまま素直に突き進んでいたのが、私のスタート地点だったと思っている。

自分の居場所

「アールビバンに入社すれば稼げるようになるんだろうな」と楽観的に考えていたが、入社してからは苦労の連続だった。
お客様にとって満足頂ける接客ができず、心が掴めず、当然ながら絵も売れず、加えて細かなミスも多く直接クレームのお言葉を頂く事さえあった。

それでもきっと「何とかなるだろう」と、だらだらと先の事を考えずに仕事を続けていた私を変えたのは、「このままじゃ、一緒に働きたいと思ってくれる人がいなくなるよ」という上司の言葉だった。

その言葉を聞いた時に、衝撃が走った事を覚えている。
今まで周りには常に誰かの存在があった。どんな時でも支え、認め、切磋琢磨してくれる誰かの存在があったからこそ頑張れていた。周りの人のお陰で幸せに過ごせていた私にとって、自分の居場所が無くなる事は何よりも怖い事だった。

入社2年目の10月、初めて自分の未来と向き合った瞬間だったと思う。

アールビバンの仕事の意味

それからの私は、お客様の事を本気で考えるようになった。
なぜ私はお客様の心を掴めないのか、信頼して貰えないのか、絵を買ってもらえないのか。

どれだけ考えても1人では答えが見えなかった。だから、私を変えてくれた上司を頼った。彼の教える事を信じて愚直に取り組み、お客様と接していった。
そこで初めて、絵の魅力を伝えるだけでは終わらない、お客様の心の奥底に触れてその人の人生を豊かにしていくという営業の醍醐味に気付く事ができたと思っている。

入社して3年経った頃には、「絵を買って貰えばいい。数字を出す事がゴール」と考えていた短絡的な考えは180度変わり、「絵を通してお客様の価値観に触れて、その後の人生が豊かになっていく手伝いをし続けていきたい」と本気で思えるようになった。

腹をくくれよ

お客様に対するスタンスは変わっていったが、未だに目先の数字に囚われている根本は変わっていなかった。
目の前で絵が売れて、お客様が喜んでいるのを見るのが嬉しくてそれだけで満足してしまっていた。
会社の理念やビジョンを理解できていなかったし、今後誰かの上司となり組織を創っていく事は全く考えられていなかった。

そんな私を変えてくれたのは、「腹をくくれよ」という野澤社長の言葉だった。
目の前のお客様の事だけを考えて、結果として絵が売れているという現状に満足してしまっていた私を、野澤社長は完全に見抜いていた。

そこではじめて、現状に満足してしまっていたことに気が付いた。
このまま今の居場所に甘えて良いのか。支えてくれる仲間に頼り切って、目の前の事だけをこなしている私でいいのか、と自問自答を繰り返す中で出た答えは、「自ら逃げられない居場所を創り上げる事」だった。

「稼ぎたい」というだけの夢であれば、目先の成果だけを追ってしまう。私自身の事だけを考えた、仲間を幸せにできない人生で終わってしまう。
自らの手で誰かを巻き込んだ環境を創ろうと決めた時に、ずっと私の傍にいてくれた人と結婚する事を決意した。

目の前のお客様だけに終わらず、チーム、会社組織全体、その先にいる全てのお客様、そして私を支えてくれる家族も含めて、全員に豊かな人生を送ってもらう為に覚悟を持って働いていきたいと思った。

今後の夢

文化を創る

目の前の人に限らず、すべての日本人の心を豊かにする為にはどうすればいいのか。
出てきた答えは「新しい文化を創る」という事だった。

入社当時は絵に対して全く興味を持っていなかったが、今では「絵のある生活」が心の奥底にある価値観に触れ、豊かさを創る一助になると確信している。
この考えを日本全国の人達が持つ事ができれば、「絵のある生活」を通した新しい文化を創る事ができれば、すべての人に心の豊かさを届ける事ができるのではないかと考えた。

「日本全国に心の灯りをともす」。社長が掲げる経営理念に今、心の底から真剣に向き合おうとしている。

仕事とは何なのか

入社当時の私にとって、仕事とはお金を稼ぐ為の手段、一人よがりな目的達成の為の一つのツールでしかなかった。
私自身の事だけで手一杯になって沢山の人に迷惑を掛けてしまっていた事に、時間を掛けて気付く事ができたと思う。

今でも目先の事に囚われてしまっている事は多いし、周りの人に迷惑を掛けてしまう事もきっとあると思う。
それでも一つだけ、「私だけではない、周りの人を本気で豊かにしていきたい」という事は言える。
私も目の前のお客様も、周りの人達も、その先にいるすべての人達も、全員を幸せにしていきたい。

それが私にとって、追いかけ続けられる「仕事の意味」なのだと信じている。

6人の社員の夢→実現