アールビバンに出会うまでの自分
私の原点「感謝を忘れない」
幼少期はピアノ、中学校ではパーカッション、高校では合唱、そして大学ではライブイベントの主催。
ピアノ奏者として仕事をする母親を間近で見ていたからこそ、幼い頃からずっと私のすぐ傍には音楽があった。
働いて家庭を支えながらも、私と同じ目線に立って相手をしてくれた母とは、今も昔も本当に仲の良い友達のような関係性。だからこそ、反抗期は一度も無かった。
母がいない時には、祖母が傍にいて面倒を見てくれていたし、そのお陰で私は寂しさを感じず伸び伸びと育っていけた。
学校内では、仲の良い友達が周りに沢山いてくれた。だから私も自然と明るくなれたし、いつでも元気一杯だった。部活動で取り組んだパーカッションも楽しくて、笑顔の絶えない学校生活だったと思う。
学校では明るく笑顔にさせてくれる友達がいて、家庭では支えてくれる家族がいて。
いつだって、周りに支えてくれる人がいてくれたからこそ、私は今生きているのだと思う。
だからこそ人への感謝を伝える事、「ありがとう」を言う習慣だけは忘れずにいる。
本気でやればできるんだ
母の後ろ姿を見てきたピアノも、初めて私の意思で挑戦したパーカッションも好きだったが、演歌が好きな祖母の前で歌う事が一番好きだった。
高校に進学してようやく、念願の合唱部に入る事ができた。
好奇心で始めた部活動だったが、入ってみれば練習は本当にハードだった。
土日も含めて毎日の練習は当たり前、平日は放課後だけではなく朝早くから集まっての練習まであった。
100人以上が所属する団体だったからこそ、全員の声を合わせる事は本当に難しかった。
それでも一度も辞めようと、諦めようとしなかったのは、率いてくれた顧問の先生、そして母親のお陰だったと思っている。
顧問の先生は100人以上の部員の名前とあだ名まで記憶していて、いつだって親身になって相談に乗ってくれた。
合唱の技術だけではなく、チームとして一つの物事に取り組む上で最も大事な、周りの人達への感謝の心を忘れない事を教える為、一人一人に真摯に向き合ってくれた。
先生のお陰で周りの人に感謝する事の大切さを、心の底から再認識する事ができたと思う。
それでも一度だけ、私自身の声の低さが嫌になって辞めたいとも思った。
「辞めてもいいよ。自分が本当に辛ければ、それでもいい。でも、それってダサくない?」。
ふと私が零した愚痴に対する母からの返答に、ハッとさせられた。
ハードな部活動は、当然辛い事も多い。でも私が本当に楽しいと思えたから、挑戦したいと心の底から思ったからこそ、取り組んでいるはず。
合唱に対するワクワクした気持ちに溢れていた初心を思い出した時には、「絶対に最後までやり切る」という事を心に決めていた。
1年目の成績は、県大会で銀賞。2年目は金賞を取る事はできたが、全国大会の出場は叶わなかった。
本当に心が折れてしまいそうだったが、支えてくれた顧問の先生、母親、そして周りの友達のお陰で最後までやり切る事ができた。
3年目の結果は金賞、そして念願の全国大会出場。
本気でやれば、絶対に夢は叶う。今の私を形作る大事な価値観を教えてくれた出来事だった。
価値観を変える
高校を卒業しても音楽への興味は変わらず、授業を通してライブイベントの運営ができるという大学への進学を決意した。
元々私はその大学を知らなかったが、オープンキャンパスを通して大学の良さを語ってくれた人がいたからこそ、入学を決意する事ができた。
高校当時の正直な気持ちとしては、「大学なんて、それなりに授業をこなしつつ遊ぶ事に時間を使うもの」と認識していた。それでもその人が語る大学生活は、心の底からの楽しさと、好意・愛に溢れていて、本当に魅力的だった。
100%の熱意をぶつけてくれた事に、本当に強く惹かれたのを今でも覚えている。
大学入学後、憧れの先輩を追い掛けて始めたオープンキャンパスの仕事だったが、当時の先輩と同じ立場になって学生に向けたプレゼンテーションをする事になり、この仕事の大変さを初めて理解した。
オープンキャンパスには大学に興味を持ってくれている人だけではなく、興味が全く無い人も含めて本当に沢山の考えを持った人達が来る。
すべての人達に対して大好きな大学の魅力が伝わるようにするにはどうすれば良いのか。
必死に資料を作って、土日も遅くまで残って作業をして、当日までずっと悩み続けて。
無我夢中で話したプレゼンテーションだったが、一人の学生から貰った「今日の竹内さんを見てこの大学に進学する事を決めました」という言葉は本当に嬉しかった。
私の話した言葉を通して、人の価値観が変わっていく。私の熱が、気持ちが人に伝播していき、大きな熱となっていく事に大きなやりがいを感じた瞬間だった。
アールビバンとの出会い
提案を通して人の価値観を変える仕事。営業職が私の天職だと思って就職活動をしていたが、中々ピンと来る会社には出会えなかった。
そんな時にとある就職活動イベントに出演していたアールビバンの人事は、周りの会社の人事の方々に比べてかなり若いにも関わらず、輝いていた。
高校当時、オープンキャンパスでプレゼンテーションをする憧れの先輩にも重なる、大好きなもの、仕事を語る魅力がそこにはあった。
私も若いうちから全力で働いて活躍したい。育ててくれた母のように一人でも生きていけるだけの力を身に付けたい。
その為には他の誰にでもできるような仕事はしたくなかった。必死になって努力しないと達成できない、私にしかできない仕事がしたかった。
絵を通して私が人の価値観を変えている様子は全く想像がつかず、だからこそ、そこでトップを争う為に努力をする私の姿はどんなに楽しいものだろうか。
「アールビバンの仕事は、ナンバーワンかつオンリーワン」。
人事の方の言葉を聴いた時、未来へのワクワク感が止まらなかった。
アールビバン入社時の夢
1年間ハワイで過ごしたい
他の人には絶対にできない、私にしかできない夢は何だろうか。
そう考えた時に思い浮かんだのが、「私の事を誰も知らない環境に突然移り住んで一から人間関係を創って、知らない言語を流暢に話して仕事をする事」。
そこで思いついたのが「1年間ハワイで過ごしたい」という夢だった。
この夢を叶える為にはどうすれば良いか。英語を勉強する事も間違いでは無いと思うが、それ以上に大切なのは、どんなに厳しい環境であっても諦めず目標を達成できる私自身を創る事だと思う。
全く想像のつかないアールビバンの仕事を通して、イメージする事もできないような無理難題でも、絶対に達成できるという自信と力をつけるのが私にとってアールビバンで働く意味である。
何よりも喜んで欲しい
やる気と想いだけは一番で入ったつもりだったが、入社から半年は本当に苦労したと思う。
どんなに熱心に伝えたつもりでも、中々お客様の心に私の想いが響かず、絵の魅力を伝える事ができなかった。
それでも気持ちをぶらさずに、昔からずっと想い続けていた相手への感謝の心、何よりも相手に喜んで欲しいという気持ちを忘れずに「絵」の持つ魅力について語り続けた。
アールビバンの扱う絵は、色褪せない魅力のある一生モノの存在。人の価値観を変え、心を豊かにしてくれる素敵な作品だと心の底から思っている。
熱意・情熱だけでその想いを伝えていた私を引き上げてくれた先輩方のお陰もあって、想いがお客様に伝わり、「この絵を買いたいと思います。宝物にします。」と笑顔で言ってくれた時は心の底から嬉しかった。
「絵のある生活」の提案を通して、お客様の価値観を変えていく。
こんな素敵な体験を一つ一つ積み重ね、お客様と想いを通じ合わせていく事を通して、思い描く理想の自分像へと近づいていくのだと思う。
今後の夢
誰かに憧れられる自分でいたい
部活動の時もオープンキャンパスの時も、「竹内さんみたいになりたいです」と言って慕ってくれる後輩がいて、本音で話し合える関係性を紡げた時が何よりの喜びだった。
仕事ではようやく自分だけの事に必死にならず、サブリーダーという役職に就き、個人ではなく組織を見るという気持ちを持ち始める事ができた。
とは言えまだまだ成果も安定してはいないし、組織を見るどころか迷惑を掛けてしまう事もあるとは思う。
それでも「私だけ」ではなく「組織の為」、良い意味でのプレッシャーを持って前向きに、今までと同じように諦めずにやり切りたいと思う。
必死に前に進む私の姿が、きっと誰かに憧れられる自分、理想像に近づくのだと信じている。